不動明王のお告げ
一人ひとりに伝えられている大切なメッセージ
2020年2月25日(火)、シアトル高野山(Seattle Koyasan Shingon Buddist Temple)へ表敬訪問のために渡米。その時、国際線で乗り合わせた三列前の席に座っていた男性乗客が急死。帰国後、「不動明王のお告げ」を授かるように…
本日のお告げ
本日の不動明王のお告げ
「煩悩の生ずる因縁とはいわく不思惟なり これを以てその因と為し
無明を縁と為す」
(20230901PM16:27)
本日は、夕方の勤行の時に上記の「不動明王のお告げ」、メッセージを授かりました。
実は、先日の強烈な「金縛り」に遭った時も、「煩悩の生ずる因縁とはいわく不思惟なり」と、どこからともなく聞こえてきました。
これは、お大師様の『秘蔵宝鑰』(ひぞうほうやく)に出てくる言葉です。
「煩悩の生ずる因縁とはいわく不思惟なり これを以てその因と為し無明を縁と為す」 『宝鑰第五』
不生な考え方から煩悩が湧いてくる。それは無明が縁となっている。
【煩悩】. 近藤 堯寛.『空海名言辞典』付・現代語訳. 高野山出版社,2002,p.420.
不正な考え方や、間違った物事の見方から煩悩が生じます。
邪まな考え方や不純でよくない思い、悪念や邪念、それらはすべて無明(むみょう)が縁となっています。
無明(むみょう、梵: avidyā)とは、仏教用語で「無知」のことです。仏教の説く法(ダルマ、真理)に暗いことをいいます。
今日は、この言葉を聞いた時に、常楽我浄(じょうらくがじょう)や、四顛倒(してんどう)という言葉も浮かびました。
常楽我浄(じょうらくがじょう)
無常なものに常をいだき、苦であるものに楽をいだき、無我なものに我をいだき、不浄なものに浄をいだく。
衆生らは、邪見によって心乱され狂わせられる、マーラにとらわられた安楽なき人々である。
私たちは、この世が、無常であるのに常(常住)と見て、苦(dukkha)に満ちているのに楽(sukha)と考え、人間本位の自我は無我であるのに我があると考え(我見)、不浄なものを浄らかだと見なしているのかもしれません。
このことを四顛倒(してんどう)、つまり、さかさまに物事を見ているという意味です。
無明を防ぐためには、思惟(しゆい)、深く思いを巡らせることが何よりも大切です。
なお、無明の反対は、「光明」(こうみょう)=真理を悟る般若の智慧をいいます。
瞑想を毎日の習慣にし、私たちの内なる「光明」に触れていただければ、驚きの新しい発見がいろいろと出てくると思います。