■ 3分間法話
● ワンポイント
善意の種をまけばいつか善因の実となり、悪意の種をまけばいつか悪因の報いを受けることになる。
● 関連用語
因果応報、善因善果、悪因悪果、行為(業=カルマ)、六道輪廻など
今日は仏教で説かれる「因果応報」についてお話ししたいと思います。
因果応報は、私たちの行動が必ずしも直ちに結果として返ってくるとは限りません。
しかし、いつかはその結果を受けるという教えです。
人生は、いろいろな人との出会いと別れを繰り返すまるでドラマや映画のような舞台です。
善い行いと悪い行いが交錯する世界、そういっても過言ではありません。
私たちは日々、多くの選択を迫られます。
そして、その選択は私たちの未来に多大な影響を及ぼします。
そのことが直ちに現れることもあれば、時間が経過してから現れることもあります。
したがって、行為(業=カルマ)は輪廻のように繰り返され、その結果が何度も戻ってくると古代の人々は考えました。
善い行いは、善い種をまくようなものです。
その種は土に埋められ、水や太陽の恵みを受けて徐々に成長します。
同様に、私たちの善意の行動も、いつかは良い形で戻ってきます。
誰かを助けること、優しさを示すこと、他人に敬意や尊重、感謝の気持ちを伝えることは、自分にも、また、周りの環境や人々にも良い影響をもたらします。
そして、その結果はいずれ私たちにも戻ってきます。
逆に、悪い行いも同じように影響を及ぼします。
ウソをついたり、人を騙したり、また傷つける言動がゆっくりと時間をかけて、いつか私たちに跳ね返ってきます。
悪意の種をまけば、その種が大きな悪の木となって、心に好ましくないものが巣くうことになりかねません。
しかし、ここで大切なことは過去の行いが未来を決定するのではなく、いつでも私たちは新たな正しい選択の機会が与えられているということです。
私たちは自分の行動を通じて、善意と慈しみ、愛を広めることがいつでもできます。
因果応報の考え方は、自己成長と他人への思いやりを育むための教えでもあります。
最後に、私たちはたくさんの選択の中で常に善い行いを心がけ、その善意の種をまいていくことが大切です。
その種は必ずしも即座に芽吹くわけではありませんが、適切な環境で育てれば、必ず豊かな実りをもたらすでしょう。
因果応報の法則が私たちの生活に明るい希望の光をもたらすことを願っています。
それでは、本日も心に善意の種をまき、愛と勇気と思いやり、感謝の心、素直な気持ちを大切にしていきましょう。
「われ本不生を覚り、語言の道を出過し、諸過を解脱することを得、因縁を遠離し、空は虚空に等しと知る」『大日経』
合掌 天宮光啓