三障四魔とは
三障四魔とは聖道や善根の起るのを妨ぎ、私たちの善心(=菩提心)や仏道修行を阻害する諸経典に説かれる三種の障りと、四種の魔のことをいいます。
災厄や不幸を招く恐ろしい魔の存在をいいます。また、修行する者にとって避けられない障魔のことです。
三障とは
三障とは俱舎論に説かれる聖道や善根の起るのを妨げる3種の重大な障害をいいます。
● 業障(ごうしょう):次生には即刻地獄に落ちるとされる〈五無間業:ごむけんごう〉
● 煩悩障(ぼんのうしょう):絶えず現れて除去しがたい煩悩のこと
● 異熟障(いじゅくしょう):全く悟る機会のありえない環境に生まれること。
※ 他の呼び名に「報障」(異熟障すなわち地獄、餓鬼、畜生の苦報など)があります。
聖道や善根の起るのを妨げる3種の重大な障害をいう。
業障(ごうしょう)と煩悩障(ぼんのうしょう)と異熟障(いじゅくしょう)
● 業障(ごうしょう):次生には即刻地獄に落ちるとされる〈五無間業:ごむけんごう〉
● 煩悩障(ぼんのうしょう):絶えず現れて除去しがたい煩悩のこと
● 異熟障(いじゅくしょう):全く悟る機会のありえない環境に生まれること。
※ 俱舎論に説かれる。このほかに別な三種の障害を挙げて三障とする例もかなりあるが、
上述したものが代表的なものである。
「三障」. 中村元.『仏教辞典苑』第 二 版. 岩波書店,2002,p.388.
※ なお、上述したものが代表的なものですが、このほかに別の三種の障害を挙げて三障とする例もかなりあります。
四魔とは
大智度論(だいちどろん)によれば、生命を奪い、またその因縁となる四つの魔(殺すもの)のことです。
① 煩悩魔・・・百八の煩悩などをいう
② 陰魔(おんま)・・・五蘊(五陰:ごおん)
※ 経典によって、身魔、蘊魔
③ 死魔・・・五蘊の相続を破する死をいう。
④ 天子魔・・・世間に愛着せしめて仏道を憎嫉せしめる天子をいう。
※ 経典によって天魔、他化自在天魔ともいう。
【 四 魔 】
生命を奪い、またその因縁となる四つのものを悪魔にたとえたもの。
大智度論によれば、
① 煩悩魔・・・百八の煩悩などをいう
② 陰魔(おんま)・・・五蘊(五陰:ごおん)
※ 経典によって、身魔、蘊魔
③ 死魔・・・五蘊の相続を破する死をいう。
④ 天子魔・・・世間に愛着せしめて仏道を憎嫉せしめる天子をいう。
※ 経典によって天魔、他化自在天魔ともいう。
「四魔」. 中村元.『仏教辞典苑』第 二 版. 岩波書店,2002,p.388.
三障四魔の克服方法
三障四魔の具体的な克服の方法としては、護摩を修法したり、真言や陀羅尼、お経を唱えたり、写経をしたり、仏道修行(滝行や礼拝行、下座行など)や三学(戒学・定学・慧学)や六波羅蜜の修行(布施・持戒・忍辱・精進・禅定・智慧)などいろいな方法があります。
また、日常にできることとして、
① 部屋を片付ける。
※ 常に整理と整頓をこころがける。
※ ほとんど使わないものは思い切って断捨離する。
② 水回りを清潔に保つ。
※ キッチンや浴室、トイレなどをこまめに掃除する。
③ 物を大切に扱う。
④ 人との調和を大切にする。
※ 和を以て貴しとなす。
⑤ 親孝行する。
※ 日頃の感謝の気持ちを素直に伝える。
⑥ お仏壇をきれいに保つ。
⑦ 寺社仏閣を巡る、また、お墓参りをする。
⑧ 陰徳(いんとく)を積む。
「足るを知る」や、「清貧」という言葉があります。
控え目で謙虚であり、慎ましいことはまさに美徳。
内面が磨かれ徳分が高まり、三障四魔を遠ざけることができます。
三障四魔を乗り越え克服することで悟りを得て彼岸(浄土)へ至ることができます。
護摩とは
特に、護摩祈祷には、三障四魔を払い運気を上昇させ開運させる諸神仏の加持力や功徳(恩恵や果報)がございます。
当光寿支部では、個人用の護摩祈祷や、定例の「一願不動明王開運護摩供」(合同護摩)によって三障四魔や三毒(貪瞋痴)を払い、運気を上昇させ諸神仏の加持力や功徳(恩恵や果報)を授かります。
悪い出来事が起こるのはなぜ
ところで、きちんと仏道修行をしたり護摩を定期的に行じてもらっているにもかかわらず悪いことが続く、
あるいは、寺社仏閣や神聖な場所を訪れたり、高野山や四国遍路や観音霊場などへ出かけたり、写経や読経、真言を唱えたり、礼拝行や滝行などの仏道修行といった善行を積んでいるのに恐ろしい目に遭ったり、悪い出来事が起こったりするのは一体なぜでしょうか。
結論から言えば、これは「三障四魔」や「三毒」が深く関係していると考えられます。
前述したように、三障四魔とは聖道や善根の起るのを邪魔し、私たちの善心(=菩提心)や仏道修行を妨害します。
また、善心を惑わし、自分たちの仲間に引きずり込み悪の手先(奴隷)にしようとしているのです。
さらに、功徳を横取りしようとたくらんでいます。
善行によって積み重ねられた功徳は、目に見えない世界では「金銀財宝」のような非常に高価な「宝物」です。
この世に詐欺や窃盗や強盗といった搾取や略奪を犯すものがいるように、あの世にもそうした悪しきものたちが存在します。
仏教では、「悪魔」を魔羅(マラ)といって、いろいろな姿や形に化けて私たちの心に揺さぶりをかけ、惑わせたり、疑心暗鬼にさせたり、離間させ孤独にすることをもくろんでいます。
ですから、「三障四魔」につけ入る隙をあたえないように、気持ちをしっかりと引き締め、戒律を保ち(十善戒)、真言や陀羅尼、お経を唱え悪魔を一切寄せつけない覚悟を持つことが何よりも大切なことです。
三障四魔や三毒は「対人トラブル」の元凶
三障四魔は、仏教において、悟りを得る妨げとなる障害と四つ悪魔(魔羅:マラ)を指します。
三障は、業障・煩悩障・異熟障(報障)の三つです。四魔は、煩悩魔・陰魔・死魔・天子魔の四つです。三障四魔は、誰しもが生まれながらに持っているものであり、それを乗り越えることであらゆる悩みが解決に向かうとされています。
※ 命の危険を感じるぐらい恐ろしい凶悪犯罪や事件、事故や病気などの陰にはこうした三障四魔が深く関与し、甚大な被害を、悪影響を及ぼしています。昔、チベットなどでこうした事実を目の当たりにしてきました。
”命の危険を感じる恐ろしい事件や犯罪、事故や病気などには三障四魔が深く関与し、甚大な被害を…”