大日如来は摩訶毘盧遮那如来(まかびるしゃなにょらい)といいます。
摩訶(まか)は「大」(大きい、偉大なもの)を、毘盧遮那(びるしゃな)は「あまねく照らす」、如来は「真如から来た者」、あるいは「永久不変の真理」という意味です。
善無畏三蔵によって「大日」と意訳されました。
それは、太陽の光のように生きとし生けるものすべてを平等に照らすからです。
太陽の光は生滅することなく、いつも私たちすべてのものをあまねく照らし続けます。
そうした「光無消滅」(こうむしょうめつ)、「除闇遍明」(じょあんへんみょう)、能成衆務(のうじょうしゅうむ)の万徳(霊験、恩恵や幸運)を本来私たちは誰もがみな等しく授かっているのです。
● 光無消滅(こうむしょうめつ):あらゆるところで消滅なく永遠に法を説く。
● 除闇遍明(じょあんへんみょう):大日の智慧の光はすべてを照らす。
● 能成衆務(のうじょうしゅうむ):衆生が本来秘めている特性を開花させる。
そんな大日如来の大切な光が苦しみや悲しみで見えなくなってしまわないように、あえて忿怒の姿に変化したのが不動明王(教令輪身)です。
なぜなら、暗黒の闇の世界には三障四魔などの悪しき魔が存在し、私たちを奈落の底へ引きずり込もうとして常に狙っているからです。
つまり不動明王の火焔は、私たちを恐ろしい危険な目に遭わせる悪いものから守るための智火なのです。
人は苦しみや悲しみ、迷いや不安がある時、真実を見抜く心の眼を自ら曇らせてしまいます。
本来、私たちは誰もが「希望の未来」、「無限の可能性」を自分自身の内に秘めています。
大日の光はそのことをいつも私たちのそばで教えてくれています。
それぞれの「大切なもの」を照らしてくれているのです。
さぁ、今月は待ちに待った一願不動明王開運護摩供です。
お不動様の智慧の火、大日の光によって、それぞれの大切なものを見失わないように共に光り輝かせたいですね。